ブログ・コラム
2023.12.01
和モダンの思想とそぎ落とす魅力の範囲、装飾だけではなくて外側と内側による別々の魅力の存在と様々な情報によって引き起こされるゆがみを本来のイメージに引き戻す設計とデザインの価値。
- カテゴリ:
- 和モダン思想
魅力的であるという事。
魅力的であるという事は
どういうことなのか?。
普段、
ごく自然に僕たちは
あの人は魅力的だ、
あの建築は魅力的だ等と
言っています。
それは例えば、
他にはない、
又は他の人は持っていないような
ずば抜けた何かをさして
言っている場合が
多いかと・・・・・。
頭が良いとか、
センスがあるとか、
綺麗だとか、
オシャレだとか。
偉いとか、
かっこいいとか、
かわいいとか、
やさしいとか・・・・etc。
多分、
そんな類の事。
いろんな装飾を
削ぎ落としたとしても、
いろんな錯覚を
剥ぎ取ったとしても、
最後まで残り続ける
そんな魅力とは何なのか?。
はたして本当にそれが
魅力なのだろうかと
思いつつも
そうして魅力的に見えるから、
という思い込みの先で、
新たな魅力を演じ
模倣してゆくだけなのでは
ないのか?。
そのときに、
それが正しいかどうかは、
それほど問題には
ならないかも知れません。
正しくても間違っていても、
それをそのように
受け取った人にとっては、
そのように見える、
ということは
本当以外の
何ものでもないはず
ですからね。
人の魅力は、
その人自身によって
というよりも、
それを受け取り、
受容する他者の中で、
事後的に育まれてゆくと
いえます。
僕たちは
内面の魅力についても
話しをすることがあります。
心がとってもきれいだとか、
優しいとか。
内面の魅力が
外面にも現れているとか。
あるものに対して
魅力を感じる際によく、
内面の持つ魅力に
引かれたなどと
勿体つけた説明を
することがありますが、
魅力とは内面や外面に
分けて論じられるものなのでしょうか。
魅力的なものに対して、
外面だとか、
内面だとかというように
その魅力について
説明ができるということは
不自然かもしれません。
なぜならそれは、
それについての説明が
できるということは、
そのものに付帯する
何らかの要素によって
魅力的であると
判断したり
評価したりしている事に
つながるものだと思うんです。
取替えや分けて
考えることのできない、
そこにしかない何かを
魅力として感じている事には
ならないものだから。
外見だって、
単純に最も外側にある内面なので
魅力的であるということが
すでに社会の中で
説明がしやすいように
物語や既成の価値観の中に
押し込められているのでは?。
それはあたかも
社会による演出でもあり、
潤滑剤であるかのように。
色彩はある光の波長を
吸収しある特定の波長だけを
反射したときに起こる現象です。
つまり見えている色は
ほんの一部の
反射でしかない、
結局人間の知覚は
小さなレンジの中でしか
発揮できない、
そしてその狭いレンジの中で
あらゆる表現が
行われています。
ある哲学者が言っています。
イマジネーションとは
無から何かを
生み出す力ではなく、
こわばった形式や常識、
形式の中で
ひずんでしまった物事の
本来のイメージを
本来のイメージに
引き戻す力なのだと。
魅力ということに
あまりに翻弄されているのでは
ないでしょうか?
そこにはイマジネーションが
あるのでしょうか・・・。
自らが内面に抱える
潜在的な何か、
どこにでもあるような何か、
それらを新しい回路や
関係性によって表出させること。
例えば恋人同士や
親子になって
始めてお互いの表面に
湧き上がるような魅力、
ありふれていたけど
時に突然に輝きだすような
人と人との交わり、
風景の中で
その相乗効果により
互いに魅力的になるような建築、
はたまた
住まい手との相乗効果によって
さまざまに表情を変え
魅力的になるような空間。
紋切り型の
イメージにより
定義されることから
逃避するように、
さまざまに表情や定義を
変えてゆくような魅力。
そんな想像力のある、
そしてどこにでもあるような
日常的にある
魅力的なものにこそ
暮らしの価値が
存在しているのでは?
と思います。
過ごす空間の意味を
丁寧にデザインを
大切にしたいと思います。
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